なにかと忙しい年明けです。
我が家の一番大きな孫5年生は、片方の耳が生まれつきの小耳症です。
片方の耳は正常なので、聴力に問題はないので普通に生活できてます。
生まれたときパパさんは「すごいかわいい顔してるのに耳が小さい」と、パパさん
闘病中でもあり気弱な言葉を吐いたのを今も思い出しますが。。。*1
本人、両親、私も、そういうことは意識しないほど、明るくのびのびと育ってくれました。
小さいときは、幼稚園で「ムックにかまれたの?」ムック大被害*2
とか、不思議そうに言うお友達もいたようですが、小学校になっても、我々の心配をよそに(まあ、言わないだけで些細なことはいろいろあったでしょうが)
人気者で、相変わらず我々も耳のことなんか忘れてました。
小耳症の手術は10歳ころになり、胸骨が成長しないとできないとのことで
その道では、神の手と呼ばれる埼玉県の永田クリニックで手術の予約を入れていました。
手術は二回行い、それぞれ一か月入院するのですが、お正月明けにやっとその一回目の手術日でした。
まず娘と私が一週間いて、そのあと婿殿が二週間会社を休みとってくれて、
あと一週間は本人次第で、付き添い必要ならまた私が行く予定です。
1月6日に入院なので娘の運転で、埼玉まで向かいました。
その夜は、ホテルで泊まり、翌日入院しました。
我々は病院から車で30分ほどのところにある、「あすなろの家」という、主に小児がんの子供の家族が一家族一日千円で宿泊できるホテルのような設備の整った宿泊施設を
利用することができました。
孫は、形成手術でほかの重病の子供や小児がんの家族の方に比べると、大変申し訳ない思いです。
洗濯室も無料で、洗剤付きで乾燥機までついているので、夜の間に洗濯もできますし、
共用キッチンは、3つもガスレンジがあり、ダイニングや子供が遊べるプレイルーム
室内にはバストイレ付トイレットペーパーなど備品付で至れり尽くせりです。
それでも、夜、洗濯室に向かう際、廊下でお母さん方が子供の病気で話をされてるのを耳にすると抗がん剤。。。とかシビアな内容なので、孫なん化とは比べようのないほど
ご心痛のことと思います。
というわけで、髪をそり頭の格好がよくパパさん似で、頭の手術をした時と重なります。手術室には何の緊張もなく笑いながら向かったらしく先生も「これは大物だ」みたいなことを言われたようです
。
手術の様子は病院のブログにアップされてました。(驚)
胸の軟骨を採りそれを移植するようで、結構大掛かりな手術です。
それでも、予定より早く6時間半ほどで終わったようですが。
それからが大変でした( ノД`)
手術前から、手術より後の痛みが大変と聞いていたようで、翌朝病室に行くと、
痛みのためとんでもなく沈んでおりました(´;ω;`)ウッ…
軟骨を採った胸の痛みのため、体を前屈したままの状態でした。
面会時間が終わり娘が帰る際は、涙をポロポロ。。。。
それでも翌朝からは、病室のみんなでトランプをしたりゲームをしたり将棋で遊んでおりました。
同じような学年の子供たちで、みんな利発そうな目から鼻に抜けるようなタイプの子ばかりで、孫などのんびりしてます。
孫より一日後に入院してきた方は、韓国人の20代のお兄さんで、10歳の時他の病院で
6回も手術を繰り返し、うまくいかずやっとこの病院にたどり着いたとお母さんが
よろこんでいました。
カナダの大学と日本の大学を卒業された大変優秀でそれでも、年の離れた孫たちとも
トランプを一緒にしたりとても素直な感じのお兄さんで、きっと、お母さんが大切に育てられたんだなと思いました。
そんなことで、手術までは、娘が病院に行き、その間、一歳のあおい君の子守をしていました。
宿泊施設のプレイルームで遊ばせたり、お散歩したり、手術後は交代で子守しながら付き添いをし、病院近くの公園や、児童館で遊ばせました。
病院の帰りには、宿泊施設近くの埼玉新都心にあるショッピングセンターコクーンで
食事したり買い物したり。。。。
ほとんど、朝は宿泊施設で軽い朝食を作り、お昼はお弁当屋さんで御弁当を買ったり、夜もお弁当や外食が多かったけど、時々共同キッチンで自炊をしたりと、
この宿泊施設のおかげで便利で快適に暮らせました。
12日に二週間の予定で婿殿が来たので、入れ違いに私は新幹線で帰宅し、娘は14日に帰り翌日から仕事です。
体調を崩さないにしてほしいですね。
共同キッチンで夕飯作ったりと、本当に便利な宿泊施設があり感謝です。
次回の二回目の手術(夏頃かな)でも利用できるといいですね。
とにかく、ひとまず安心しました。