ウ”ィヨンの妻

 最近は、若い人の間で太宰治文学がブームになっているらしい。
私も若い頃、ずいぶん作品を読んだ記憶がある。
「斜陽、人間失格走れメロス、。。。」
どれだけ理解できていたかは別として。。。(^^;)

どちらかというと、暗い、重い印象の作品が多いけど、
それでも、あの語り調子のような、独特の繊細な文章表現が、
今の若い世代の感性に新鮮で共感を覚えるのかもしれません。。。

ということで、今日は映画「ウ”ィヨンの妻〜桜桃とたんぽぽ」
を見に行きました。

主人公である作家の「大谷」は、まるで、太宰治自身のような
想定の人物像でした。

放蕩の限りを尽くす夫に、明るく純粋で、一途な愛で尽くしきる
「佐知」を、松たか子が好演していました。

どうしようもない退廃的な夫の姿と、逞しい生命力で明るく生きる佐知の健気さは対照的ではあるものの、心の根底にある優しさ、
純粋さは実は大谷自身にも共通しているものであり、
だからこそ、お互い強く惹かれあい、運命共同体のように
いかなる逆境にも
「でも、私たち生きてさえいればいいのよ。。。」と言う
佐知の台詞にもあるように、離れられなかったのでしょう。

なぜなら、原点である、二人の出会いというのも、不器用な二人が
その不器用さ故の、無垢で優しい純粋さからの必然の巡り会いだったのだから。。。

みんな完璧で、満ち足りた幸せいっぱいな日常でなくてもいいじゃない。。。
たとえばどうしようもないだらしなさをもつ男の一面をも許し、
それを母性でもって包み込み、
「生きてさえいればいいのよ」。。。
と、言い放つ佐知のたくましさと明るさに救われた映画でした。。。